浦和地方裁判所熊谷支部 昭和44年(ワ)23号 判決 1975年8月20日
原告
秋山元治
被告
寿産業株式会社
ほか一名
主文
被告らは各自原告に対し、金一、二九〇、二五五円およびこれに対する昭和四四年二月八日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その一を被告らの各負担とする。
事実
(当事者のもとめる裁判)
原告
被告らは各自原告に対し、金八、四八二、九二五円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年二月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告らの負担とするとの判決ならびに仮執行の宣言。
被告ら
原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決。
(請求原因)
一 交通事故の発生
日時 昭和四一年三月一二日午前一一時頃。
場所 埼玉県与野市与野八四一番地先、日赤大宮病院附近、国道一七号上の交通信号機の設置作動中の交差点。
加害車 被告会社保有、その被用者である訴外八木勝司運転の普通貨物自動車(群一せ五五二六号、以下被告車という)。
被害車 訴外埼玉県養蚕販売農業協同組合連合会(以下訴外連合会という)の被用者である原告運転、右連合会長訴外森田新五郎同乗の普通乗用自動車(埼五に六七八九号、以下原告車という)。
態様 原告車が浦和市方面から熊谷市方面へ向つて国道一七号線を進行し、前記交差点の手前において赤信号のため停止中、被告車が前方不注視、信号無視、停止義務違反の過失によつて原告車に追突し、原告に傷害を与えたものである。
二 事故の発生原因および被告らの責任
(一) 原告の受傷は被告車の前記追突に起因する。
仮りに追突のみに起因するのではないとしても、右追突が傷害原因に加功している。すなわち
(1) 原告(同乗の訴外森田も同様)は、被追突直後から数日間、首の痺れ、頭痛を起しており、被追突二、三週間後から吐気、手足の痺れ、倦怠感が再発し、以来益々その症状が悪化し、事故の六ケ月後には手足の運動不如意、歩行困難となり、追突による神経系統後遺症の典型である。
事故数ケ月後に初めて原告の重症が突発したのではない、この頃原告は未だこの症状が追突による後遺症であることを悟らなかつたから、訴外三輪病院の高血圧、脳動脈硬化症いわゆる中気との診断を信じて、治療に従つていただけである。その後訴外美原病院において診断を受けた際、即座に中気ではない、中気ならば左右いずれか一方の手足が不如意となり、両側の手足が痺れることはない、原因は頸部にあるといわれ、初めて本件事故が原因であることを知つたのである。
(2) 原告は被追突時には痙性麻痺(変形性頸椎症)に全然罹つていなかつたもので、被追突時から前記症状が起り、悪化したのである。
そして、被追突時まで四肢に異常なく自動車運転業務に従事していたのであるから、原告に老化現象による頸性麻痺が潜在していたとしても、原告の前記症状には被告車の追突が有力な一因として加功しているのである。
(二) 被告会社は被告車を保有し、営業のため供用していたものであるから、自賠法三条により、被告三村は被告会社の代表取締役であつて訴外八木勝司の業務執行を指揮監督していたものであるから、民法七一五条により、それぞれ原告の本件事故によつて受けた損害を賠償する義務がある。
三 原告の損害その一、治療関係費
(1) 原告は本件事故により前記首や手足の痺れ、頭痛、吐気等を起したので、同年八月頃まで約一三五日間市販薬(アリナミン等、一錠一二円毎日六錠)を購入服用した。
この薬価代金九、七二〇円。
(2) 同年九月に至り、前記症状が激しくなり、手足の運動不如意、歩行困難となつたので、同月一五日頃熊谷市三輪病院に往診を求め、治療およびマツサージ療法を約三ケ月続けているうちに益々症状が悪化した。
この間の治療費は社会保険のため個人負担なく(実際は往診車代を謝礼した)、マツサージ料(一回四〇〇円、四〇回)計金一六、〇〇〇円。
(3) 同年一一月二五日伊勢崎市美原病院に入院診療を受けたところ、この四肢けいれん麻痺は追突による変形性頸椎症と判明し、翌四二年三月二六日まで四ケ月(一二二日)間加療したが、依然手足の運動不如意により、独立歩行はもとより自身にて衣類の着脱、用便すらできない状態が続いた。
そこで昭和四二年三月初頃、伊勢崎総合病院の細密検査を受けたところ、同様の診断のほか頸骨に軟骨が発生し、障害となつていることが判り、手術をすすめられたので、この手術のため一応美原病院を退院した。
この症状のため、美原病院が完全看護でないので全入院期間中常時附添婦を要し、原告の妻訴外貴代子が家事を放棄して毎日夜これに当つたが、日夜勤務の附添婦を雇傭すれば日額一、〇七〇円を要するので、同額範囲内の日額七五〇円相当の附添婦費用の損害を受けた。
そのほか、原告は右入院中の雑費日額一五〇円を要した(衣類、器具、消耗品の明細を挙げることができるが、裁判例日額二〇〇円の範囲内で日額一五〇円に積算した)。この間の入院費(治療費は個人負担なし)
金五七、〇二〇円
細密検査費 金一〇〇円
附添婦費 金九一、五〇〇円
入院雑費 金一八、三〇〇円
入退院タクシー代 金二、四〇〇円
(4) 昭和四二年四月一一日慶応大学病院(東京)に入院して、損傷椎骨を除去して腰骨を移植する手術を二回受け、同年一〇月一二日まで約六ケ月(一八六日)間治療を続けたが、四肢が常時けいれんする症状は続き、その苦痛感を緩和するマツサージの必要があり、妻貴代子が毎日通院して介護にあたつた。
この間の入院費(治療費個人負担なし) 金一、四四〇円
輸血費 金一〇、〇〇〇円
入院雑費((2)と同基準) 金二七、九〇〇円
入退院タクシー代(熊谷東京間) 金六、三〇〇円
介護通院定期代一ケ月金三、八八〇円
金二七、一六〇円
(5) 引続き同年一〇月一八日美原病院へ入院して、治療とリハビリテーシヨンを行い、キヨ子附添にて、独自では歩行極めて困難、歩行器を用い約一〇米歩行できるにすぎない症状が、退院時には介護あれば杖にすがつて、よちよち歩きができるようになり、それ以後は自然好転を待つほかないとのことで昭和四三年三月二日退院した。
この間の入院費(治療費個人負担なし) 金四一、六〇〇円
附添婦費((3)と同基準)金一〇二、七五〇円
入院雑費(右同) 金二〇、五五〇円
入退院タクシー代 金二、四〇〇円
(6) その後、昭和四三年三月頃から熊谷市河野病院へ通院しながら、四肢けい性麻痺(変形性頸椎症)の自宅療養を続けているが、現在もこの症状が消えず、杖にすがつての歩行にも介添を要し、日常生活も不自由で労働能力を一〇〇%失い、生涯職場復帰ないし就労不能の後遺症を残している。
この間の治療費(一回六〇円、三〇〇日間に四日に一回の割合、七五回) 金四、五〇〇円
通院タクシー代(四五回) 金一三、五〇〇円
(7) 今後の治療関係費については、将来のことであるから留保する。
四 原告の損害その二、逸失利益
(1) 事故による休職中の減額および不支給諸手当
原告は、訴外連合会に勤務し、同会職員給与規程によつて俸給および諸手当の支給を受けていたが、本件傷害による長期休職のための昭和四一年一二月から昭和四四年三月までの年末手当、年度末手当、夏期手当は減額および不支給となり、その損害額は合計金六一一、六四七円である。
(2) 退職から停年までの得べかりし俸給、諸手当
本件傷害による長期療養休職期間の満了により、昭和四四年六月三〇日自然退職を余儀なくされたのであるが、原告は大正四年七月一日生の生来壮健の男子であり、厚生省第一二回生命表による平均余命は一九・七三年であるから、右退職さえなければ、訴外連合会の停年六〇才まで六か年、即ち昭和五〇年六月三〇日までそのまま勤続し得て給与を受けるべきものであつた。
この間の給与年額は、右退職直後一ケ年間の減額または不支給のない本来受くべかりし本俸、家族手当の年額、および夏期、年末、年度末の各手当の合計額金一、〇九二、二六〇円以下ではない、従つて右金一、〇九二、二六〇円を各年終日に一括支払を受けるものと仮定し、法定年五分の中間利息を控除する単利ホフマン式計算をすれば、金五、六〇七、二二〇円となるのであるが、原告は労災法災害等級三級相当の認定を受けたことによつて明らかなとおり労働能力喪失率一〇〇%であり、原告の損害は右同額の金五、六〇七、二二〇円である。
(3) 停年後五か年間の得べかりし収入
原告の健康状態、事務職兼運転職の能力をもつてすれば、前記六〇才の停年後少くとも五か年間は最低一か月金三五、〇〇〇円(停年退職時の見込月給額の約半額)の収入を得べきものである。
そこで、この損害を前同様昭和四四年六月三〇日を起算日としてホフマン式計算をすれば、金一、四五一、七三〇円である。
(4) 損益相殺
原告は、本件受傷により労災保険の障害補償年金三等級を、昭和四四年一二月一日から給付されることになつた、そしてその年金額は、昭和四四年一二月から金二三六、三九二円、法令改正(昭和四五年法律第八八号、政令第三二一号)により昭和四五年一一月一日から金三九一、八六一円である。
労災法によれば、三等級障害補償年金額は、給付基礎日額(原告のそれは金一、四四三円)と法定給付日数(昭和四四年一二月当時は一八八日、昭和四五年一一月から前記法令改正により二一九日)との積をもつてスライド適用前の年額とし、これに労働省告示で定めるスライド率を乗じて支給額を決定するものであるところ、このスライド率は、昭和四四年告示第八号で同年四月一日から一二四%、昭和四五年告示第七号で同年四月一日から右同率と定められたので、原告の前記年金額は右法令を適用して算出決定されたものである。
そこで、損益相殺として昭和四四年七月一日から昭和五五年六月三〇日までの右年金額を前記逸失利益額より控除する。
その控除額は、逸失利益を退職日の昭和四四年六月三〇日を起算日とし、年五分の中間利息を控除する単利ホフマン計算したのであるから、年金額も同様に計算するを相当とし、その年金現価は金三、一六二、九八〇円である。
この控除により、前記治療費および逸失利益合計金八、一二三、七三七円から右損益相殺金三、一六二、九八〇円を差引き、残金四、九六〇、七五七円の請求となる。
五 原告の損害その三、慰藉料
原告は、手足の自由を欠く一年三ケ月間の長期入院、一ケ年余の通院期間中の心身の苦痛、更に生涯手足不随の後遺症を残し、社会および家庭生活の楽しみを失つた精神的、肉体的苦痛は甚大であり、一家の扶養責任者として収入源を失い、生活不安におびえている。
ほかに、原告の介護に多大の心労を重ねている原告の妻は、民法七一一条による個有の慰藉料請求権を有するところ、これを請求していない事情も考慮すべきであり、原告の慰藉料は金三、二七二、一六八円をもつて相当とする。
六 原告の損害その四、弁護士費用
被告らは、本件事故による原告の損害賠償請求に対して誠意なきゼロ回答を示したので、原告はやむを得ず本訴を提起するため、原告訴訟代理人に弁護士費用として着手金二五〇、〇〇〇円を支払つたので、これを弁護士費用として請求する。
よつて、原告は被告らに対し、各自右合計金八、四八二、九二五円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年二月八日から支払ずみにいたるまで、年五分の割合による遅延損害金の支払をもとめる。
(被告らの主張)
一 請求原因一項中、原告主張の日時、場所において、被告車の前部が、赤信号のため右交差点の手前で停止中の原告車の後部に接触したことは認めるが、被告車が前方不注視、信号無視および停止義務違反の過失によつて、原告車に追突したとの主張を否認する。
被告車を運転していた訴外八木勝司は、右事故当時前方には十分注意をし、かつ信号を確認しながら停止しようとしてブレーキを踏んだところ、それまで正常に作動していたブレーキが急にきかなくなり、そのため原告車に接触し、原告車の後部に軽微な損傷を与えたが、それは追突といえるような事故ではなく、原告には全く傷害を加えていない。
右事故当時原告車の後部座席に同乗していた訴外森田新五郎は、右事故の瞬間一寸シヨツクを受けたが、車外に出てみると、原告車の後部を少しこわした程度で、原告の身体には異状がなかつたのであるが、後日のため事故届をした方がよいと原告に注意したところ、原告は大した損傷ではないから届けなくてもよいということであつた。
二 請求原因二項(一)の、本件事故と原告の傷害との間に相当因果関係があるとの主張を否認する。
(1) 原告は、本件事故直後から首が痺れ、頭痛を感じ、同年四月頃からその主張するがごとき症状に悩まされながら、アリナミン服用を同年八月まで続けたと主張しているが、そのアリナミン服用期間、購入先などは明確でなく、また当然医師の治療を受けるべきであるのに、その治療も受けず、数ケ月間も所謂素人療法をしていたことは甚だ了解に苦しむところである。
(2) また原告は、本件追突時には頸性麻痺(変形性頸椎症)には全然罹つていなかつた、被追突時から前記症状が起り悪化したものであると主張している。
しかし、原告は本件事故発生当日から同年九月一五日頃まで、病欠なく平常通り訴外連合会に勤務していた、同年九月一五日頃三輪病院に治療をもとめ(病名は脳動脈硬化本態性高血圧症)、同年一一月二五日美原病院に入院(病名、変形性脊椎症(手術後))、昭和四二年三月二〇日伊勢崎総合病院の診断を受け(病名、変形性脊椎症)、同年四月一一日慶応病院に入院して手術を受け(病名、脊椎変形症)、同年一〇月一二日同病院を退院し、昭和四三年三月頃から河野病院において治療を受けている(病名、変形性頸椎症)。
(3) 原告は、本件事故当時運転歴三〇数年のベテラン運転者であつたから、右事故当時まで「むち打ち症」という言葉を知らなかつたというのは納得できない、仮りに事故直後から首の痺れ感等が起つたとの主張が真実であるとするならば、運転者にとつてはその生命ともいうべきこれらの症状に対して、医師の診療も受けずに前記素人療法をしていたことが、本件事故とその傷害との間に何らの因果関係もないことを、自ら認めているものである。
三 請求原因二項(二)の主張を否認する。
被告寿産業株式会社は、群馬県新田郡新田町大字木崎五五番地に木崎営業所を置き、昭和三二年一月以来訴外取締役染野平八郎を常駐させて、一切の責任をもつて右営業所附設の車庫(鉄骨造建設五〇坪)に貨物自動車を保管させ、運転者の採用およびその使用、ならびに運搬業務の執行指揮監督にあたらせていた。
訴外八木勝司も右染野平八郎の監督指揮下におかれており、被告車の番号も群馬ナンバーである。
被告三村平八は、被告寿産業の代表取締役ではあるが、民法七一五条二項の代理監督者ではなく、被告三村が個人として責任を負担すべきいわれはない。
四 原告の症状、程度について、労災法障害等級三級相当の認定を受けたことは認める、しかし、これをもつて直ちに右症状、程度が本件事故に基因するものとはいえない。
右三級に認定されるまでの経過をみると、浦和労働基準監督署長は、昭和四四年一一月一一日労災保険の不支給を決定し、これに対し原告から取消決定をもとめる申立をなし、埼玉労働者災害補償保険審査官は、昭和四五年一〇月五日取消の決定をし、浦和労働基準監督署長は、昭和四六年五月二一日七級該当の決定をしたところ、原告は更にこの決定の取消をもとめ、前記保険審査官は同年一〇月四日右決定を取消し、労災法障害等級三級の三を準用することが適当であるとの決定をした。
しかし、関東労災病院脳神経外科部長医師大野恒男作成の鑑定書によれば、障害等級九級程度にとどめるのが適当ではあるまいかとの記載があり、右鑑定書は本件事故から四年半を経過した昭和四四年九月七日作成されたものであるが、前記三級の三準用の決定は、右事故から五年半以上も経過して行われたものであり、このように、再三にわたり障害等級が変更された経緯と、右鑑定書の記載等から考えると、原告の症状の原因は、むしろ従来から原告自身に存する老化現象によるものというべきであつて、事故当時五一才というのは、年令的にも老化現象が早いとはいえないものである。
五 原告の損益相殺の主張は、原告が現在労災年金の支給を受けているのは、労働者災害補償保険法二〇条(改正法一二条の四)の第三者行為による事故、すなわち、第三者である被告らの行為による事故によるものであるから、被告らは原告に対して損害賠償責任があるとの前提に立つている。
(一) 原告が、昭和四四年一二月一日からその主張の補償年金を支給されていることは、原告の第五準備書面添付の障害補償年金現計算表に詳細に記載されている。
第三者の行為によつて労働者が傷病等を被つた場合、第三者は損害賠償責任を負うのであるが、その傷病等が業務上または通勤によるものであれば、被災労働者は労災保険の請求権をあわせて取得することになるのであるが、右の保険給付が第三者の損害賠償より先に行われると、前記労災法二〇条によつて、第三者の行なうべき損害賠償を政府が肩代りをしたことになるので、政府は保険給付相当額を第三者に対して求償する権利を有することになる、その消滅時効は民法七二四条により三年の期間であるが、原告は本件事故後三年以内に本訴を提起しているので、右消滅時効は完成していない。
(二) 従つて、政府は当然被告らに対して、原告に支給した保険給付相当額を求償すべきであるのに、今日にいたるまで未だ求償されていないし、所轄の労働基準監督局長から右賠償請求の予告もなされていない。
このことは、政府が原告の現症状を本件事故によるものではないと認定したからであつて、右保険給付は原告自身に存する原因による業務上の災害に基くものであり、第三者たる被告らの行為によるものではないことが明白である。
(証拠関係)〔略〕
理由
(本件事故の発生)
一 原告主張の日時、場所において、訴外八木勝司運転の被告車が、ブレーキが効かず、赤信号のため右交差点の手前に停止中の、原告車の後部に接触したことは争いなく、〔証拠略〕によれば、被告車は、浦和市埼玉県庁附近からブレーキのききが悪くなつていたが、そのまま進行したことが認められる。
二 本件事故の程度、内容等について、〔証拠略〕によれば、原告は、一瞬目がくらみ、首すじに痛みを感じる衝撃を受け、また原告車は停止線の約二米前方に押し出され、後部トランクの蓋が開かない程度に凹んだことが認められるので、本件事故は被告車の追突に基づく事故と認定するのが相当である。
〔証拠略〕中、これに反する部分は採用しない。
三 訴外八木勝司の過失の有無について、同訴外人は、被告車のブレーキのききが悪くなつていることを知つていたのであるから、原告車に後続して停止する際、前方の確認、車間距離、減速および停止の方法等について充分注意し、もつてブレーキの故障による追突事故の発生を防止しなければならない注意義務があるのにかかわらず、これを怠つて本件事故を惹起したものであるから、同訴外人に過失のあることは明らかである。
(原告の症状について)
一 原告が、昭和四一年九月一五日頃、熊谷市三輪病院の往診をもとめ、同年一一月二五日伊勢崎市美原病院に入院し、昭和四二年三月伊勢崎総合病院の診断を受け、同年四月一一日東京都慶応病院に入院して手術を受け、同年一〇月一二日同病院を退院し、昭和四三年三月頃から熊谷市河野病院において通院治療をしていたこと、ならびに原告の症状が労災法災害等級三級に相当することは争いがない。
二 原告の症状と本件事故との関係について、〔証拠略〕を綜合すれば、つぎの事実が認められる。
原告は、本件事故まで健康体で自動車運転業務に従事し、柔道などもやつており、痙性麻痺の徴候は全くなかつたのであるが、本件事故直後から、頭痛、首および手の痺れがあり、アリナミン服用を続けていたが、同年九月頃手足の痺れがひどくなつたので、前記三輪病院の診察を受けたところ、血圧が高く本態性高血圧症ということであつたが、その後前記各病院の診察の結果、痙性麻痺(変形性頸椎症)と診断されたのである。
右の痙性麻痺は、いわゆる老化現象によつて起るとされているが、原告の場合は、老化現象だけが原因ではなく、本件事故もそのひきがねとして一因をなしていると考えられるので、本件事故と原告の損害との間に因果関係が存在すると認めるのが相当である。
乙号各証は右認定の支障とならず、〔証拠略〕中、これに反する部分は採用しない。
(被告らの責任)
一 〔証拠略〕によれば、つぎの事実が認められる。
被告会社は、飼料販売、倉庫業等を営業内容とし、埼玉県深谷市大字国済寺所在の本社のほか、群馬県新田郡新田町大字木崎に木崎営業所があるが、被告車は被告会社の所有であつて、訴外八木勝司は、右木崎営業所に所属する運転者として、本件事故の際、同会社の飼料運搬をしていた。
被告会社の役員は、代表取締役三村平八、取締役染野平八郎および同三村克也(三村平八の子)であつて、本件事故当時における車両および従業員数は、木崎営業所の車両四台(大型三台、小型一台)、従業員は約五名(全部運転者)、本社の車両は小型二台、従業員は前記三村克也を含めて三名であり、株式の大部分は右三村平八が所有している。
訴外八木勝司は、本件事故直後被告本社に赴き、前記三村克也に事故の状況を報告して、修理等の指図を受けているが、右のように、被告会社は、いわば被告三村の個人会社として、同被告の指揮、監督下におかれていたというべきである。
〔証拠略〕中、これに反する部分は採用しない。
二 右の認定事実によれば、被告会社は、被告車を保有し、営業のため供用していたものと認められるから自賠法三条によつて、また被告三村は、被告会社の代表者として、訴外八木勝司の業務執行を指揮、監督していたものであるから、民法七一五条によつて、それぞれ損害賠償責任を有するのであるが、その割合については、前記因果関係等の事実に照らし、後記原告の損害のうち、被告らは各自一五%を負担するものと認めるを相当とする。
(原告の損害)
一 治療関係費
(一) 請求原因三項(1)、(2)の、アリナミン服用日数、量および価格等、ならびに三輪病院におけるマツサージ料(合計金二五、七二〇円)の損害については、これを確認するに足る証拠がないので採用しない。
(二) 同三項(3)ないし(6)については、〔証拠略〕によれば、原告は、右(3)ないし(6)の入院費等の損害(附添婦費については、原告主張の美原病院等の入院期間中、訴外秋山貴代子が常時附添介護した費用で、一日金七五〇円の割合によるもの、入院雑費は、右入院期間中の雑費で、一日金一五〇円の割合によるものである)合計金四二七、四二〇円相当の損害を受けたことが認められる。
二 逸失利益
〔証拠略〕を綜合すれば、つぎの事実を認めることができる。
(一) 休職中の減額および不支給諸手当について
原告は訴外連合会に勤務していたので、同会職員給与規程によつて俸給および諸手当の支給を受けていたが、本件事故による長期休職のため、昭和四一年一二月から昭和四四年三月までの年末手当、年度末手当、夏期手当が減額および不支給となり、その損害額は合計金六一一、六四七円であることが認められる。
(二) 退職から停年までの得べかりし俸給、諸手当について
本件事故による休職期間の満了により、昭和四四年六月三〇日退職となつたが、原告は大正四年七月一日生の健康な男子であり、厚生省第一二回生命表による平均余命は一九・七三年であるから、訴外連合会の停年六〇才(昭和五〇年六月三〇日)まで六か年、そのまま勤務を続けて給与を受けるべきものであつたが、この間の給与年額は、右退職後一か年間の減額、不支給のない本俸、家族手当の年額、および夏期、年末、年度末の各手当の合計額金一、〇九二、二六〇円について、単利ホフマン式計算によると金五、六〇七、二二〇円となるが、前記のごとく原告は労災法災害等級三級相当の認定を受けているので、労働能力喪失率一〇〇%であるから、原告の損害は右金五、六〇七、二二〇円である。
(三) 停年後五か年間の得べかりし収入について
原告は、前記六〇才の停年後少なくとも五か年間は最低一か月金三五、〇〇〇円(停年退職時の見込月給額の約半額)の収入を得べきものと考えられるので、前同様昭和四四年六月三〇日を起算日として単利ホフマン式計算をすれば、金一、四五一、七三〇円となる。
(障害補償年金の控除)
原告主張の、労災法による障害補償年金が支給されることとなつたこと、その主張のごときスライド制によつて右の支給決定がなされたこと、および昭和四四年七月一日(退職の日の翌日)から昭和五五年六月三〇日(前記逸失利益計算の最終日)までの右年金額が、単利ホフマン式計算によると金三、一六二、九八〇円となることは、被告もこれを争わないので、右金額を前記治療関係費および逸失利益の合計金八、〇九八、〇一七円から控除すると、金四、九三五、〇三七円となる。
(慰藉料について)
原告は、前記入院および通院による苦痛、ことに手足不随の後遺症による精神的、肉体的苦痛は誠に甚大であるが、これに対する慰藉料は金二、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
そして、右の合計金六、九三五、〇三七円の一五%にあたる金一、〇四〇、二五五円(円以下切捨)に、後記弁護士費用の損害金二五〇、〇〇〇円を加えた金一、二九〇、二五五円が被告らの負担すべき金額である。
(弁護士費用について)
〔証拠略〕によれば、原告は、弁護士費用として、訴訟代理人後藤正三に金二五〇、〇〇〇円を支払つたことが認められる。
弁護士費用を当該不法行為による損害と認めるには、その支出した金額、訴訟の難易その他の事情を考慮してその額を決定すべきであるが、本件においては、その損害額は右金二五〇、〇〇〇円をもつて相当とする。
(結論)
よつて、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自金一、二九〇、二五五円、およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年二月八日から支払ずみまで、年五分の割合による金員の支払をもとめる限度において、これを相当として認容し、その余の請求はこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法九二条、九三条を適用する。
なお、仮執行宣言の申立はこれを却下することとして、主文のとおり判決する。
(裁判官 高野明孝)